Cases Reports
Highlighted Cases
Media Alert

Violations in China
Murder and Execution
Torture
Violence Leading to Disabilities
Violence against Women
Psychiatric Torture
Enslavement
Persecution of Families
Violence against Persons with Disabilies
Right to Education
Violence against Foreign Citizens

Cases
Death
Torture
Psychiatric Torture
Religious Intolerance
Freedom of Expression
Arbitrary Detention
Violence Against Children
Violence Against Families
Violence Against Women
Human Rights Defender
Right to Health
Right to Education
Independent Judges and Lawyers
Disappearance

China Reports
Labor Camps
Cases By Province

Refugees
Deprived CitizenShip
Internally Displaced ( IDP )

Publications
Falun Gong Reports
United Nations Reports
Human Rights Reports

Resources
Falun Info. Center
Justice for Falun Gong
Friends of Falun Gong
WOIPFG
United Nations
Home
ニューズレター 第8号  
Print  E-mail 
法輪功人権ニュースレター8号
第8号, 2005 もし、このニュースレーターを読めなければ、 ここ にクリックしてください.  


読者の皆様,

今回時事通信の掲載している物語は、私たちが最新発表した「良心の物語」(こちらからダウンロードすることができます: http://www.falunhr.org/index.php?option=content&task=section&id=54 [英語])から選んだものです。

 
これらの物語は、中国で進行している法輪功学習者への迫害を想起させ、また両親が迫害の犠牲者となり、孤児となった子供たち、拷問によって死亡した年配の女性などについて、語っています。拷問の犠牲者が激痛に耐えかねて悲鳴をあげることを抑えるために、その口には常に雑巾が詰め込まれていたのです。それらの刑具による拷問はあまりにも惨く、人間がこのような刑具を考え出すということ自体理解に苦しみます。これらの法輪功学習者は、誰かの最愛の母親であり、祖母、息子、娘、配偶者、あるいは隣人であるかもしれません。

 目次:
 
これらの物語に登場する人物は、皆「真・善・忍」に基づき法輪功を実践しています。もし自らが信じているものを放棄したならば、生きていられたかもしれません。洗脳及び拷問に圧倒され、自分の良心を放棄したならば、釈放されていたかもしれません。しかし、果敢にも自分の信じているものを堅持することを選択したのです。これは、自身のためのものだけではなく、中国国民の幸福ためなのです。

ご一読頂き、誠にありがとうございます。

法輪功人権ワーキング・グループ


無口になった少女

心語ちゃんの父親である黄克さんは、撫順石油化学工業研究所の第10研究室に勤務していた。彼女の母親の鐘云秀さんは、北三家鎮中学校の英語教師であった。

 
1999年4月24日の夜、天津市の警察は任意に法輪功学習者を拘束するということを聞いた際、黄克さんと鐘云秀さんは、政府に法輪功を理解してもらうために、何かをすべきであると思い、1999年4月25日から7月20日にかけて数回にわたり、夫婦で北京へ行った。そして、法輪功の真実を人々に伝えるために、中央政府陳情オフィス及び中央テレビ局を訪ねた。黄さんは、勤務先の社長及び会社の共産党書記長にも法輪功に関する資料を手渡した。

1999年7月21日、鐘さん及び黄さんは、北京へこの迫害をやめるよう政府に呼びかけに行ったが、既に国営メディアは大規模な反法輪功宣伝運動を始めていた。また北京の警察は、法輪功学習者を捜し出すためにホテルを捜索し、任意に逮捕をした。黄さん夫婦も逮捕され、地元へと護送されたが途中で脱出した。

再び逮捕されることを避けるために、常に移動し路上生活を送っていた。しかし、1999年9月の末、夫婦は北京の戒台寺で逮捕され、列車で撫順市へと護送された。この不法な拘束から脱出するために、鐘さんは列車から飛び降りたが、この際重傷を負い26歳の若さで死亡してしまった。この時、心語ちゃんは、まだ二歳にもなっていなかった。母のいないことをとても寂しく思っていた。

鐘さんが死亡した後も、撫順市の警察、政治司法委員会、そして地方の警察署は、頻繁に黄さんを拘留し、そして拷問をした。しかし、黄さんが法輪功を放棄することを拒否したため、洗脳クラスへ送り込んだ。またしても黄さんは職を失ってしまった。その時の心語ちゃんは、父親をも失うかもしれないという恐怖の中で生きていた。

黄克さんと鐘云秀さんの結婚記念写真

 
2000年の末、黄さんは、迫害が毎日エスカレートしていくことを見て、再び北京の中央政府へ陳情に行く決意をした。そして、天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断旗を広げた。警察は彼を逮捕し、撫順市に留置した。そこで、黄さんは拷問によって危篤状態に陥り、警察は家族に引き取りに来るよう命じた。

2003年3月18日、黄さんが「法輪大法は素晴らしい」と壁に書いていたと警察に通報された。それによって、7年の刑を言い渡された。刑務所内で、黄さんは虐待へ抗議するため絶食を行ったが、看守は受刑者を指図して、強制注食を施した。10日間以上の拷問の後、黄さんは、再び死の瀬戸際に立った。警察は、死亡した場合の責任を逃れるために、彼を釈放した。

2003年6月末、撫順市望花区光明派出所の警察は、またしても黄さんを逮捕し、撫順第一留置所に留置した。黄さんは数回にわたって絶食を行ったが、その都度強制注食を受けた。10日間の拷問によって、彼は2003年7月3日午前6時に死亡した。

心語ちゃんは、お父さんが死んでしまったことを受け入れられず、いつもその姿を探していた。両親が亡くなったため、現在祖父母と共に暮らしている。級友がその親から世話になる姿を目の当たりにするのは、つらいことである。心語ちゃんは、口数の少ない無口な少女となってしまった。 TOP


母への手紙

大学の講師であった白暁均さんは、朝陽溝強制労働収容所に監禁されていたところ、彼の母に手紙を書いた。これは彼が書いた最後の手紙であった。6ヶ月の後、彼は拷問によって死に至った。

 

白暁均 さんは35歳、吉林省にある東北師範大学の講師だった。彼は哲学修士の学位を取得していた。彼の母と、弟の 白少華 も法輪功学習者だった。白さんは、法輪功への弾圧をやめるよう政府に陳情するために北京へ行き、2000年7月に一年間の強制労働懲役を言い渡された。その後、法輪功への信念を放棄しないため、彼の懲役期間は延期された。

2003年7月、朝陽溝強制労働収容所では、口にするものをすべて吐き出してしまうほど,彼の健康状態は悪化した。非常に衰弱し、立つことも出来なくなった。続く拷問と酷い牢屋生活で、食べることも飲むことも出来ないほどに衰弱しきった。同年7月6日、危篤状態に陥った白さんは長春市の伝染病院に運ばれ、結核と診断された。しかし,すでに手遅れだった。

白さんの死の直前に、強制労働収容所は家族に白さんを引き取るよう連絡した。白さんの親戚は、死の直前の彼を見て驚いた。栄養失調のため骨が透けて見え、衰弱した体は腫れあがり、全身が拷問の傷だらけだった。レントゲン検査の結果、彼の片方の肺は壊され、跡形も無く消えていることが分かった。白さんは、母が来る前に亡くなった。家族はたいへんな苦労の末、やっと彼の医療記録を手に入れた。診断書には次のように記録されていった。「薬物による肝炎、全身浮腫、極度の衰弱、全身を覆う傷」。後日,医者は「この患者さんは、通常の状態で亡くなったとは考えられない。」と語った。

2001年末、白暁均さんの弟、白少華も法輪功弾圧をやめるよう陳情に行き逮捕され、北京団河強制強制労働収容所に留置された。母が最後に許された面会時には、白少華さんは、殴打によって骨折しており、頭は裂傷のため包帯に包まれていた。

白暁均さんから母への手紙の一節

愛する母さんへ お元気ですか

11月24日付けの母さんからの手紙で、母さんと弟の様子が分かった。これは僕が2000年に逮捕されてから、2通目の家族からの手紙だ。

僕は2000年7月に逮捕され、最初の1年は長春フンシン強制労働収容所に留置された。聞いていると思うけれど、僕は一時「全く動けない状態」だった。フンシン強制労働収容所では拷問で腕と足を2回負傷したが、幸いに骨折はしなかった。その後、疥癬にかかったので、吉林省の警察病院に1ヶ月以上入院した。風呂に入れないし、洗濯もできない状態だったけれど、一緒に収容されていた法輪功の学習者たちが僕の衣類を洗ってくれた。最後の面会では充分話す時間がなかったけれど、母さんが聞いた僕に関する情報は本当のことだ。

僕は2000年8月にフンシン強制労働収容所に入れられ、2001年4月11日にウェジゴウ強制労働収容所に転送された。2002年2月12日(中国春節)まで1年半、そこに留置された。しかし、懲役期間が終了しても釈放されず、強制教育(洗脳)センターに送られ、そこに1ヶ月留置された。そのあと、長春第三刑務所に入れられ、1ヶ月ぐらい留置された。それから、再び3年間の懲役を言い渡され、今日まで朝陽溝強制労働収容所に留置されている。以上が逮捕されてからの今日までの経緯だ。

逮捕されてから家族とは離れ離れだけれど、法輪功学習者たちが私の面倒を見てくれ、いろいろな方法で季節の服と日用品を送ってくれたので、寒い冬でも耐えられた。衣類は充分にある。本当にありがたいと思っている。どうぞ,僕のことは心配しないでください。

もう元気になっているから・・・

この二年間で、僕は人生の意味をますます理解できるようになった。もし自由になったら、きっといろんな面でもっと上手くやれると思う。

少華のことは心配していない。彼は自分で何をすべきか分かっているだろう。

母さんと再会して、母さんの元気な様子やその他のことにうれしい驚きを感じる日が早く来ることを祈っている。

家族みんなで暮らせるようになるのはそう遠くないと信じている。

これで終わりにしますが、特別な用事がなければ、返信しなくてもいいです。

暁均

2002年12月28日  TOP


愛の物語

 

董翠芳 さんは北京シュンイー婦人児童保健病院の婦人科医だった。彼女の故郷は、河北省高城市シァンアン県張村である。董さんの婚約者、沈文傑さんは29歳で、北京首都空港のパイロットだった。二人は十年以上付き合って、文通は何百通にも上る。婚約していたが、1999年7月20日に始まった法輪功弾圧のために、結婚することができなくなった。

二人は弾圧をやめさせるために何回も陳情したので、何回も逮捕され拷問された。2000年、法輪功の修練をやめないというので、北京での仕事を辞めさせられた。二人は北京を離れ、いろいろな地方に行って、人々に法輪功の真実と迫害の事実を伝えた。

董翠芳さんの修士学位を受けたときの写真

 
2001年12月26日、二人は、法輪功迫害のチラシを配ったため逮捕され、北京シュンイー留置センターに入れられた。看守は、二人に週一回の面会を許した。二人は会う度に、苦難を乗り越え、信念を堅持することを励まし合った。その後、面会は許されなくなった。法輪功を捨てさせようと、董さんにいろいろな拷問が加えられた。抗議のため絶食を始めた彼女は、強制的に食べ物を体内に注入された。

2003年3月11日、さらなる弾圧を加えるために、董さんは北京の大興女子刑務所に移送された。第三団の隊長、田風慶が「反省書」を書くよう要求したが、董さんは、法輪功を実践することは罪ではないと主張し断った。田隊長は、激怒し、看守の席学慧にボーナスが欲しかったら、董さんを「必ず転向させろ」と命令した。三人の女看守は、董さんに法輪功を諦めさせるためにあらゆる残酷な拷問をした。その結果、2004年3月19日午後5時24分、移送されて僅か八日目に、董さんは死亡した。享年28歳であった。

董さんの両親は北京医療証明センターに死体解剖を求めた。死体の両足は酷く腫れあがり、膝下の肌は激しい裂傷で出血していた、頭には穴があき、右肩の筋肉は骨から引き剥がされていた。死体解剖によって拷問による死亡が確認されえた。

両親は、三人の女看守を訴えたが、訴状を撤回するよう地元の警察に脅迫された。董さんの両親は、他の法輪功学習者と連絡することさえ許されなかった 。

当局は董さんの死亡情報を婚約者の沈さんには伝えず、密かに彼を大興地区にある強制労働収容所に移送した。それ以後、沈さんの消息は分からない。釈放された後、婚約者の董さんと再会する日を待っていることだろう。 TOP


突然の別れ

李銀萍さん

 
2001年6月4日、李銀萍さんは、ウェ坊地区寿光市馬家村にある学習者の家を訪れた。その際、寿光公安局の警察に侵入され、李さん及び現場にいる学習者全員有無が言わずに逮捕された。皆孫集警察署に留置されたが殴打され、強い日差しの下屋外に立つことを強要された。警察は何ら法的手続きもせず、学習者を尋問した。

2001年6月6日午後、李さんは他の拘束されている法輪功学習者と共に、無条件の釈放を求めたが、警官は李さんを廊下に引きずり出し、ゴム製の警棒で殴打した。五、六人の警官が、酒を飲んだ後、再度拷問を始めた。平手で顔を叩き、彼女の片手をひねって背中側に引っ張り、髪を掴んでは、頭を後ろに引っ張り、ゴム製の警棒で全身を殴打した上、高圧電気棒で電気ショックを加えた。そして、彼女の衣服をすべて脱がせ、皮膚の上から殴打した。更に、拷問道具である鉄製椅子に繋いだ。

一服した後、所長、隊長の王、そして他の看守が交替で高圧電気棒により、彼女の性器に電気ショックを加えた。彼女の全身が痙攣し、電撃された皮膚は、濃い紫色と黒色に変わっていた。彼女は想像を絶するような激痛を受け、数回にわたって意識を失った。その度、警官は冷水で掛けて彼女を目覚めさせ覚まさせ、再び電気ショックを加えた。この中、一人の警官は彼女を強姦し、そして殺す、と脅迫した。彼女が流血し出しても、電気ショックを加え続けたが、この拷問は数時間継続していた。李さんは鎖で鉄製の椅子に繋がれたままであり、一夜中おう吐していた。

翌日の2001年6月7日早朝には、意識不明で脈も取れない状態であったが、警察は直ぐに彼女を病院へ送ろうとはしなかった。結局、彼女に死が近づいていると判断し、私服警官が彼女を寿光市人民病院へと送ったが、彼女はその日の内に死んでしまった。 TOP


 白血病患者の願い

 
1999年7月に法輪功が禁止されたとき、胡さんは政府のリーダーたちに法輪功の修練によって健康になったことを知らせる手紙を出した。その結果、彼は2度にわたって逮捕された。警察は彼の家を捜査し、貯金、個人住宅の権利書2通、その他の貴重品を没収した。警察側はそれらの没収に関する受領書は発行しないと口頭で告げた。

「法輪功学習者は、法輪功の煉功及び修煉によって恵まれたのである。彼らは、如何に高次元の水準のモラルにある人になれるか、そして真の善というものは、何を意味しているのかを理解している」
留置センターで法輪功の実践が許されないため、胡さんは口と鼻から出血し始め、全身に血斑ができた。彼は2回意識を失った。1999年8月9日当局は、留置センターで死亡することを恐れ、彼を釈放した。家に戻った胡さんは、法輪功の煉功を始め、まもなく再び健康を取り戻した。

1999年8月当局は、胡さんの病気は法輪功の修練ではなく、病院での治療によって回復したのだ、という嘘を流布させた上、法輪功の名誉を毀損した。胡さんは真実を手紙に書き、2000年2月19日に海外のウェブサイド上で発表した。そのため、彼は2000年4月21日に再逮捕され、9ヶ月間留置された後、2001年1月20日に南昌第一地域裁判所で7年間の懲役を言い渡された。彼は懲役期間中、法輪功の修練を許されなかったため白血病が再発し、2001年3月22日江西刑務所病院で死亡した。

胡慶雲さんから中国リーダーたちへの手紙

江沢民主席、朱熔基主席と他のリーダーたちへ

私は江西省最高裁判所の職員で、中国共産党員でもあった。法務部には16年間勤務した。私は共産党と政府に背いたことはないが、ここで、自分の現在の状況と今までに経験したことを伝えたいと思う。

1999年8月21日、南昌新聞夕刊は、私が「法輪功によって命を救われた」という記事を強要されて書いた、とその見出しで報道した。記事によると、私は1997年6月28日に法輪功を修練し始めてから現在までに、6回病院に運ばれたことになっている。新聞はこの記事によって法輪功の名誉を毀損し、世間を欺いたのだ。

事実は全く異なる。法輪功を修練する前、私は胃痛、喉と鼻の炎症、首の痛み、脳への血行不足、再発性貧血などを含めいろいろな病気に悩まされ、さらに1997には、治療不可能といわれる種の急性白血病にかかった。また、救急治療を受けている間に、B、C型肝炎と肺結核にも感染した。(B、C型肝炎はいろいろな肝炎の中でも一番治癒が困難な肝炎である。)

私は、もう助かる見込みが無いと言われたその時に、法輪功を修練し始めた。そして、奇跡が起こった。私は命を永らえたのだ。修練初めてまもなく、私は化学治療、輸血、薬物を含むすべての治療をやめていた。この体験は、法輪功の実践と修練が私の体に与えた顕著な効果を証明している。

ところが、新聞記事は、私が法輪功を始める前に5回入院したと言う事実、法輪功を実践し始めてからは一度も病院の治療を受けていないと言う事実を故意にゆがめて、法輪功を実践し始めてからも、病院に通って治療を受けたと報道している。この新聞記事は全くのでっちあげで、世間を欺くものだ。

私の入院中に要した医療費は32万元にのぼる。しかし、私自身は何度も瀕死の状態に陥っていた。病院の医療では、救われなかったのである。ところが、法輪功を実践することによって、私は再び健康を取り戻したのである。これはだれにも否定できない事実である。家族は莫大な医療費と精神的負担からも解放された。もちろん、政府にとっても莫大な医療費が節約できたのである。

1999年8月、南昌テレビと新聞は、私が再び病院に運ばれというニュースーを流した。記者がインタービューした主任医師は私に一度も会ったこともないし、もちろん私の治療履歴も全然知らなかったのである。ところが、主任医師は記者に「胡慶雲はわれわれの病院で白血病を完治して退院した。完治は法輪功の修練とはまったく関係がない」と語った。私は医師になぜ嘘をついたのかと聞いたが、医師は、「今のような難しい状況下」ではだれでも同じことを言うはずだ。それほど深刻に受け止めることはないと返事した。

事実は次のとおりである。1999年7月21日、私は社会秩序を撹乱したという罪で警察に逮捕された。刑務所では法輪功を実践することは許されなかったので、数日後、再び鼻、口から出血が始まり、全身に血斑が広がった。2回意識を失った。検査の結果、極度に血圧が下がっており,白血病が進行しているので、早急に治療しなければならないと診断された。

1999年12月、私は法輪功を政府に陳情したため、また、法輪功に関する真相を伝える手紙を書いたため、当時の職場を解雇された。

この手紙の目的は、主席と首相、およびその他の政府要人に私が受けた迫害の真実を伝えるためである。考えてみて欲しい、普通の白血病の患者がこのような迫害と刑務所の留置に耐えられるだろうか。私は法輪功を修練しているので、このような迫害、苦しい試練に耐えられたのである。病院で何回も死を宣告された私にとっては、執着するものは何も無い。私は政治に興味がなく、共産党と政府にも反対しないが、法輪功の名誉を毀損するために政治に利用されるのはご免だ。

最後に、私は心から伝えたい真実がある。それは、法輪功の実践と修練が大いに実践者を助けているということである。実践者はどのようにして高い道徳を身につけるかを、また本当の善が何であるかをよく理解している。道徳が高まることによって心身ともに素晴らしくなることを実感しているので、説教や「マインドコントロール」は信じない。そのような学習者に法輪功の実践をやめさせることがどうしてでき得ようか。

胡慶雲

江西省の学習者  TOP

 


家族の宿命

何万吉さんと趙香中さん

 

趙香中さんと夫の 何万吉さんは新寧市に住んでいた。何万吉さんは青海省新寧鉄道駅に勤める人望の厚い警察官であった。夫婦二人とも法輪功を実践し、その結果、万吉さんの脳腫瘍が消えた。彼の奇跡的な回復を見た両親と弟も法輪功の修練を始めた。中央政府が法輪功弾圧を始めた後、妻の趙さんは修練をやめないという理由で青海女子強制労働収容所に4回留置された。

2002年11月、趙さんの4回目の逮捕時には、警察の車6台が夫婦の家を取り囲んだ。警察は家族全員を逮捕し、12時間以上拘留した。趙さんは青海女子強制労働収容所送られ、独房に入れられた。そこで殴られ、冷たいコンクリート地面に寝かされた。釈放された時、彼女は下半身麻痺と胸部の酷い痛みに悩まされていた。また、すっかり痩せ細り、食べることも飲むこともできない状態であった。2003年2月22日に死亡するまで、ずっと彼女の下半身は麻痺したままであった。享年50歳だった。

夫の何万吉さんも、法輪功の修練を続けたために残酷な迫害を受けた。彼は青海強制労働収容所に入れられ、拷問で腰を負傷し、全身に麻痺が残った。彼は2002年12月30日、中国法輪功学習者に対する人権侵害をテレビで放送する際に協力したという罪で、新寧市地方裁判所で17年の刑を言い渡された。彼はハイバイ州メンイゥン県にあるハォメン刑務所で拷問を受けて死亡した。享年53歳であった。

家族が死体を確認したとき、何さんの遺体には針の穴が無数にあり、口から出血し、右腕は全体に黒ずんだ傷に覆われていた。

夫婦が留置されている間も、また彼らの死後にも、地元の当局者たちは、何回も彼らの住宅に侵入し、現金と家財道具を略奪した。

何万吉さんの弟、何万柱さんも家で法輪功学習者と会談しているうちに逮捕された。警察は彼の家を捜査し、6000元以上の現金を略奪した。万柱さんは青海強制労働収容所で三年間の懲役を言い渡され、そこで拷問を受けて、毒の入った食物を食べたため胸部がうっ血し、唇が麻痺した。

何さん兄弟の高齢の父親は、長男夫婦が死亡し、次男が強制強制労働収容所で拷問されたため、2004年1月30日に心労のため死亡した。

家族全員が迫害の被害者になったのだ。何さんの71歳の母、趙玉蘭さんは強制労働収容所にいる息子に法輪功の資料を送ったために、2001年に黄州留置所に40日以上留置された。2004年5月12日の夜中に、新寧と黄州警察は趙玉蘭さんの家に侵入し、再び彼女を逮捕して現在もまだ拘留中である。 TOP

 

信義か体面か

高蓉蓉さんは、法輪功に悪口をすることを拒否したことで、龍山強制労働収容所で殴られたり、パンチされたり、蹴られたり、そしてスタンガンに電気ショックを与えられたりした。看守は、彼女が二階の事務室から落ちたと言って、焼けた皮膚は、落ちたときの生じたけがによるものだと言った。

 

高蓉蓉さん

 

36歳の高蓉蓉は、遼寧省瀋陽市魯迅芸術学院財務室の職員だったが、1999年、全国的な法輪功迫害が始まったとき、迫害の中心的対象とみなされて、職を解雇された。

2003年7月高さんは逮捕され、龍山強制労働収容所に入れられた。2004年3月22日、高さんが法輪功を中傷することを拒否したため、強制労働収容所第二団の副隊長の唐玉宝は彼女を二段ベッドの上段から地面に引き摺り下ろし、首を掴んで室外に引きずり出し殴打した。ほかの看守たちは、高さんを管理室につれて行き、暖房パイプに手錠で縛り付つけ、殴る、蹴るの暴行を加えた。また、電気棒で彼女の頭、顔、手、足に30分以上も電気ショックを与えた。そのあと、強制労働収容所のリーダー、李風山は彼女に向かって言った。「ここでは暴虐が許されているのだ。そうでなければ、手錠や電気棒がなんの役に立つ。あたなを思い通り出来ないなんてことは無いのだ。」

また、あるときは「法輪大法は素晴らしい」と主張したため、高さんは、唐玉宝に頭を殴られ、片方の耳が聞こえなくなった。高さんは、1日12時間の重労働と拷問で身体を壊した。肝臓の痛み、胃の痛みに加えて、断続的な発熱に襲われた。気分が悪く、一日に何度も嘔吐するようになり、食べられないので酷くやせた。第一団の隊長兪軍(音訳)は、高さんを辱めるため、他の囚人に彼女の頭頂の髪を短く切るよう命令した。

高さんが「法輪大法は素晴らしい」と公言すると、唐玉宝は彼女の頭を打った。それにより、高さんは片耳の聴覚を失った。
2004年5月7日、唐玉宝と江照華は高さんを事務所に連れて行き、再び暖房パイプに手錠で縛りつけ、6、7時間にわたって電気ショックを与えた。高さんの顔は腫れあがり、水疱と火傷で見分けがつかないほどに変形した。髪の毛は焼け爛れた肌の血膿にへばり付いていた。酷い腫れのため、目は細くなり、口はすっかり歪んだ。同じ部屋の収容者たちさえ彼女を識別できなくなっていた。

その日、高さんは二階の事務室の窓から落下した。病院に運ばれ、骨盤骨折が2箇所、左足の骨折、右踵の複雑骨折と診断されたが、身体が衰弱しているため、手術ができる状態ではなかった。

拷問を隠すために、龍山強制労働収容所と瀋陽市司法局は、顔の傷は軽い擦り傷であり、それは高さんが事務所の窓から落ちたためであると虚偽の報告をした。

高さんは6月16日に中国医学大学病院の救急室で監禁中の拷問及び虐待による合併症で死亡した。彼女の死は、彼女の信仰のために二年に及ぶ監禁、洗脳、そして拷問の結果である。

高蓉蓉さん最後の言葉・世界の人々へ

「この私の経験は、数百万人の法輪功学習者が迫害されている氷山の一角にすぎません。さらに多くの悲劇は依然として隠されており、知られてはいません。拷問及び殺戮は、強制労働収容所、刑務所、留置所、洗脳センター、そして精神病院の中で、毎時のように起こっているのです。

この迫害が始まってから、江沢民政権は、法律に従って法輪功学習者を扱うということは、決してありませんでした。法輪功学習者は、陳情、信仰や言論の自由と言った権利、さらには生きる権利さえ含め、憲法及び法律によって保障されている権利が、すべて奪われました。千人以上の人が拷問によって死亡し、無数の人が監禁、拷問、そして精神的に荒廃されています。

この厄難は、言葉ではとても表現できない惨い苦難を、法輪功学習者及びその家族に与えています。「真・善・忍」への迫害は、人類の善良な本性への最も邪悪な蹂躙であり、そして、国際正義及び法律の尊厳に対する破壊です。世界の正義及び道徳の永続のためにも、良心ある方は、何とぞ非難をされてください。

世界の正義ある組織と方々が、中国で起こっている法輪功への迫害に注目され、この迫害及び殺戮を止めるよう支援くださり、そして罪を犯した者が法律によって裁かれ、人間の正義が回復さるよう、ここに呼びかけます」。 TOP


法輪功とは何でしょうか?
中国政府はなぜ法輪功を迫害するのでしょうか?
もっと法輪功学習者への迫害を知ってください。


受信をやめたい場合、ここをクリックしてください

Falun Gong Human Rights Working Group
9974 Scripps Ranch Blvd. #228, San Diego, California, 92131, United States
Phone: 619-280-5177, Fax: 619-280-4931, E-mail: info@falunhr.org, japan@falunhr.org

     
    ©2003-2007 Falun Gong Human Rights Working Group, All Rights Reserved