|
2002年度年度報告書
―――「拷問」監察員により
作成者:Sir Nigel Rodley
さまざまな人が、ありとあらゆる拘束、或は監禁、特に拷問及び
他の残酷な非人道的、或は卑劣な取り扱い、又は懲罰に遭遇したと言う人権問題
303、張志剛、江蘇省淮安出身、2000年3月2日逮捕され淮安看守所に監禁された。張志剛は3月25日午前不法に殴打され、頭部に重傷を負い、意識不明の状態に陥った。3月20日の夜、心電図の検査が行われ、心拍は弱いが、まだ呼吸があったという。ところが突然、40~50名の公安警察官がやってきて、病院の廊下及び病室を封鎖し、酸素補給のための管及び点滴を抜くよう医師に命令した。その後、火葬場へと搬送し、強制的に火葬した。また、親族からの問い合わせも禁じられていた。
322、観察員は、法輪功学習者が強制的に精神病院に監禁されていることを、引き続き中国政府に問題提起している。警察は、多くの法輪功学習者を精神病院に入れ、検査もせず、彼らに薬物投与をしている。2000年1月20日、北京房山地区城関派出所は、外国の記者に50名近くの学習者が周口店精神病院に入れられていることを認めた。警察側は彼らが患者ではないことを認め、精神病院で再教育を受けていると話した。
324、1999年12月26日、張淑琪は、北京西城看守所に連行され、2000年1月14釈放された。帰宅途中、断食をした際、鼻から強制的に食物を注ぎ込まれたことや、自ら受けた各種の虐待を家族に告げた。家に到着して一時間も経たないうちに、彼女は嘔吐し始め、意識不明の重体となった。翌日、北京大学病院で死亡した。
325、梁青、女性、遼寧省大連市出身。他の学習者が迫害されたことを海外のマスコミに教えたため、裁判もなく三年間の強制労働を言い渡された。報告によると、1999年7月20日から、彼女は、大連姚家看守所に26日間監禁され、その後の10月24日再び逮捕された。
326、劉建坤、吉林省遼源出身。2000年2月一年の強制労働を言い渡され、白泉強制労働収容所に監禁されていた。収容所内でも引き続き煉功をしていたため、看守は受刑者を指示して、彼を殴打するよう命じた。2000年5月彼は胸部の痛みを訴え、7月2日になると食事を取ることができなくなった。市と区の病院では、肋骨骨折及び胸膜炎による胸水と診断されたという。2000年8月27日病院で死亡した。
327、王興田、河北省大楊荘郷南斉村出身。2000年2月21日、北京に上申に行く際、公安に阻止され、寧晋県の「法制教育センター」に監禁された。3月23日頃、北圏里郷役場の事務所に移され、食事も水も与えられなかった。3月25日、事務所内で電撃棒による電撃及び鉄棒による殴打を受けた。家族はやむを得ず警察に賄賂を渡し、意識不明の彼を連れ帰ったが、帰宅当日に死亡した。
328、劉暁玲、女性、2000年大晦日の夜に逮捕され、肇東市看守所に監禁された。監禁中、断食をもって抗議した。2000年5月13、14日、看守は鼻から強制的に食物を注ぎ込んだ。更に、殴打により肋骨が骨折、肺を突き抜け死亡した。
329、梅玉蘭、女性、2000年5月13日逮捕され、北京朝陽区の看守所に監禁された。5月17日、看守は全く医学知識の無い受刑者に看護役をするよう命じ、塩分濃度の高い豆乳を彼女の鼻から注ぎ込んだ。牢屋に戻って間もなく、吐血し始めたが、翌日になりやっと治療を受けた。その後、手足が急速に冷め始め、眼球の動きも止まった。民航病院に移送され、手当てを受けたが、5月23日死亡した。
330、荘光新、海南省(王京)海市出身。2000年10月7日逮捕され、市の金融ビルの七階で尋問を受けた。10月8日、同ビル前で死亡しているのを発見された。遺体は傷だらけであった。警察は、彼は懲罰から逃れるために、ビルから飛び降りたと言った。
331、楊桂實、河北省張家口市北辛堡鎮出身。2000年10月24日北京で逮捕され、宣武区看守所に監禁された。警察は彼を殴打した上、他の受刑者にも殴るよう命じた。彼は一日中殴打されていた。2000年12月27日、張家口市懐来県北辛堡郷派出所の警官により、地元に連れ戻されたが、更に警官から暴行を受け、電撃棒による電撃及び竹の棒で殴打された。2001年1月14日病院で亡くなった。病院側の診断によると、高濃度の食塩水を飲まされたことによる窒息死という。
332、徐氷と娄愛卿は、2000年12月20日青島市内で「法輪大法好」という横断幕を掲げたため、逮捕された。二人とも殴打によって死亡した。
333、夏術才、2000年12月22日、山東省莱西駅で逮捕され、二週間後警官に殴打され死亡した。
334、張茂興、江西省城子鎮出身。2000年12月25日逮捕され、北京市の看守所で監禁され、ひどく殴打された。その後、江西省九江県看守所に連れ戻され、数日後に死亡した。遺体の顔面と唇は傷だらけであった。遺体は速やかに火葬され、妻でさえも最後の対面を許されなかった。
335、宗恒傑、2000年10月1日から3日まで、瀋陽市鉄西区派出所の警察にひどく殴打され死亡した。警察は彼が自殺したと公表し、検死もせず、速やかに遺体を火葬した。
336、王斌、2000年10月5日大慶東風新村労働教養所の看守に三時間殴打され、死亡した。
337、謝桂英、2000年10月18日安徽省淮南市朝陽区派出所の警官に殴打され死亡した。
338、趙雅雲、女性、2000年6月20日黒竜江省ハルピン市万家労働教養所で死亡した。目の周りと肩は傷だらけで、顔面が腫れ上がっており、頸部に絞められた後があった。
339、史迎春、女性、2000年10月5日公園で煉功したため逮捕された。葫盧島看守所に監禁され、所内で煉功をしたために殴打された。二名の看守は、釘が刺さっている棍棒及びゴムの管を使い殴った。また、手錠と足かせを数日間も掛けられていた。
340、趙淑静、女性、2000年11月18日天安門で私服警官に逮捕され、殴打され意識不明に陥った。その後、天安門派出所に移送され、健康状態が極めて悪化しているため、釈放された。彼女の眼球は突出し、充血している。顔面が腫れ上がっており、口に一センチほどの傷があり、右側の鎖骨が凹みうっ血していた。
341、辛然、女性、14歳、2000年12月16日母親と13歳の妹と一緒に、北京へ上申にいった際逮捕され、北京の房山県派出所に監禁されていた。警官に顔面を叩かれ、顔を捻られ、棍棒で臀部を叩かれていた。三日後、姉妹は警察によって学校に連れ戻された。母親は断食後、2000年12月22日釈放された。
342、李竟春、女性、2000年12月18日北京門頭溝看守所で監禁された。断食で抗議した五日後に、看守は彼女の鼻から食物を注ぎ込んだ。2000年12月30日釈放されたが、高熱を出し、嘔吐した。2001年1月4日死亡した。
343、初厳鋭、女性、2000年12月1日天安門広場で逮捕され、2000年12月13日前後海澱区看守所で死亡した。死亡したとき、顔面と唇が腫れ上がっており、目、耳、鼻、口から出血し、鼻骨が折れており、顔がひどく変形していた。2000年12月18日北京市昌平で火葬された。
344、田實珍、女性、2000年11月天安門広場に向かっていく途中、天安門派出所の警察によって逮捕された。自分の名前と住所を教えることを拒否したため、北京宣武区看守所に移送された。宣武区派出所では断食をもって抗議したため、審問され、殴打された。また、鼻から食物を注ぎ込まれていた。数日後に釈放されたが、12月11日に死亡した。
345、佟振天、2001年1月天安門に行ったため、逮捕され殴打された。shu蘭市公安局に一年半の強制労働を言い渡された。強制労働されていた間、迫害を受け、2001年7月4日に死亡した。
346、覃永潔、2001年4月26日法輪功の真相資料を配布したため、逮捕された。警官に殴打された後、博羅県の看守所に送られた。一ヶ月あまり監禁され、数回に渡って暴行を受けた。牢屋の窓枠に、手錠を掛けられ、足が床に着かない状態で5時間あまり吊された。2001年6月2日、両足に熱された鉄の棒を押し付けられ、13ヶ所ものやけどを負った。
347、李長軍、2001年5月16日法輪功が受けた人権侵害を暴露する資料を印刷したため、武漢市で逮捕された。2001年6月27日に、家族は死亡通知書を受け取った。顔面と首は傷だらけで、しかもひどく変形しており、歯は全部無くなり、背部が焦げていた。
348、左志剛、2001年5月30日石家荘公安局と法輪功取締本部(通称610オフィス)の警官によって、職場から連行された。石家荘市橋西区の派出所で尋問され、暴行を受け、死亡した。遺体は傷だらけであり、首にはロープできつく絞められた痕が残っており、腰部にも二つの方形の穴が開いていた。
349、劉東雪、河北省神星鎮大娄村に居住していた。2001年大晦日のとき、妻と一緒に看守所に監禁された。4ヶ月に及ぶ断食を行ったが、数回殴打され、鼻から食物を強制的に注ぎ込まれていた。2001年5月末には、体中傷だらけとなり、ひどく痩せてしまい、体重は25キロ足らずだった。家に帰された後、5月31日に死亡した。
350、呉慶斌、安徽省淮南市看守所で消毒液を飲まされた後、2001年7月20日死亡した。2000年3月、数回看守所及び労働強制所に監禁されたが、法輪功を放棄することを拒否したため、暴行と虐待を受けていた。
356、李蘭英、陳世環、劉金玲と池雲玲の4名は、山東省招遠市の法輪功学習者であった。趙金華が殴打され死亡したことの詳細を公表したため、1999年11月逮捕された。1999年、李蘭英と陳世環が、山東省淄博強制労働収容所に三年間の強制労働を言い渡された。劉金玲と池雲玲は、2000年1月現在まだ監禁されている。
緊急呼びかけ
358、2001年2月7日、観察員は2000年7月6日に逮捕された唐希桃(女性)の代表として、
緊急呼びかけ書を提出した。不公平な審判を受けた後、法輪功の煉功をしたため、公共秩序破壊の罪で2年間の懲役とされた。病院の診断によると、彼女の健康に深刻な問題がある(例えば、腎臓の結石と心臓病など)。彼女は関東省槎頭労働収容所に監禁され、ひどい虐待を受けた。数日間手錠を掛けられたまま禁足され、他の受刑者と共に、冷たい床の上に寝ており、侮辱と恐喝を受け、強制労働をさせられている。
365、2001年7月3日、観察員は国連を代表して、広東省広州市東山区宣伝部理論弁公室の元主任の未亡人・韓月娟のために、緊急呼びかけ書を提出した。1993年1月韓月娟は、夫が亡くなった後、法輪功の修煉を始めた。数回逮捕された後、ある公安部直属の労働改造班に送られた。2000年12月22日、彼女の勤務先は、彼女を広州市から離れている「洗脳班」に送るよう要求されたが、これを拒否した。北京へ上申に行ったため、再び逮捕され、警官は彼女の両手を後ろ向きに縛った上、ひどく殴打した。2001年6月、広州芳村で再び逮捕され、広州東山区天抨架看守所に監禁されている。
366、2001年10月25日、観察員と言論自由観察員は、黒竜江省牡丹江の住民・黄国棟とその息子のために、緊急呼びかけ書を提出した。2001年2月黄国棟と息子は、法輪功の真相資料を印刷・配布したため、自宅で逮捕された。牡丹江市南山派出所へと送られ、手錠と足かせを掛けられた。2001年10月、8ヶ月間に渡る拷問の虐待によって、用を足す事も出来なくなり、食事を取ることすら出来なくなった。
367、2001年10月30日、観察員と意見・言論自由観察員は、黒竜江省牡丹江市の住民・張茂興と長女の張娟のために、緊急呼びかけ書を提出した。彼らは北京で法輪功のために請願した際、逮捕され、江西省九江県看守所に送られた。張茂興はひどく殴打され、2001年1月25日死亡した。妻は彼との最後の対面も許されなかった。彼女も法輪功学習者だからである。娘の張娟は、いまだに張茂興を致死させた九江看守所に監禁されている。彼女は拷問によって、その命が危険な状態に陥っている。
|